そして番外編...
2011年の蔵王のレポートが掲載されていません。震災もあり、それきりとなっていました。
しかしながら、3.11のその日に講習を行っており、その後30時間の停電。12時間かけての帰路となった、大変忘れられない行事となりました。
その一部を遅ればせながらお伝えしたいと思います。
注:地震のときの様子や、状況をお伝えする文章が含まれます。
体調を心配なされる方は、これ以降読み進めないことをお勧めします。
いつもと変わらない初日の朝の風景。日付は2011年3月11日金曜日。食事レポートもしようと、写真も撮っていました。
まだスタッフのウェアが赤です!今年に比べると少なめなのがわかります。
この写真は私が偶然取った写真です。時刻を見ると、3/11 14:37。
まだ未曾有の大災害を経験する直前。平和だけど何か悲しい。そんな写真となってしまいました。
この写真の9分後に地震が発生したのです。
地震については細かに書きたいと思います。
当日は、中森ゲレンデで15時からビデオ撮影という予定でした。多くの班が講習を終え、中森に向かっている14時46分。突然に地震は起こりました。
私はリフトにサンライズのペアリフト。山頂まであと1コマの位置でした。揺れるのが早かったか、放送がとまるのが早かったか定かではありませんが、
場内の音楽が壊れたレコードのように、一箇所を数回繰り返し放送し、プツッと止まりました。あれ?と思ったらゴゴーと地響きと共に揺れました。
リフトの支柱が小刻みに震え、まわりの木々がゴーと大きな地鳴りを立てていました。目の前の、リフト小屋は左右に大きくゆれ、今にも倒れそうです。
リフトは左右に3メートルくらいの振幅で揺れました。リフトのおじさんは呆然と我々を見ながら揺れが収まるのを待っていました。
一度収まり、さらに揺れました。またしてもまわりの木々がゴーと地鳴りを上げ、大きく揺れ始めました。
東京では、大きな振幅のゆったりした揺れだったようですが、蔵王では、ガタガタと小刻みにゆする様な揺れです。二度目の揺れはさらに激しかったと思います。
さて、数分し揺れは収まりましたが、リフトは動きません。何で動かさないんだろう?と、停電していると理解するのにちょっと時間がかかりました。
その間に、携帯で情報を見ると、震度7と出ています。思わず「震度7。ええっ。」と声を上げてしまいました。
その後、確認したところ蔵王温泉の揺れは震度6強だったようです。
さあ、私も班を率いていますので、そろそろ、この辺で役割に戻らなくてはいけません。リフトから降りる必要があります。
10分ほどしてから、山麓と連絡が取れないので、自力でおろそうとした山頂のリフト係りのおじさん。手には、リフトから人をおろすための道具を持っています。
私は、雪面まで1m程度の距離でしたので、許可を得た上で飛び降りました。何か手伝います。といっては見たものの、さすがにリフトからの救出は経験もないため
安全のため、ロープを後ろで支える程度しかできませんが、一応協力して、リフトのから数名を降ろしました。
写真は、班のメンバーが取ってくれたものです。赤いのは私です。中々経験できないリフトからの救出です。
手順です。伸縮式の棒を伸ばし、先をリフトのワイヤーに引っ掛けます。先端には滑車が付いており、すでにロープが通されています。
ロープの先端には、ハーネスが付いており、要救助者はそのハーネスに自分の体を通します。
その後、下で救助者がロープをしっかり持っていることを確認したうえで、要救助者はリフトの搬器から体をずらします。
下で支えているから、すとんと落ちることはありません。ロープをゆっくりと緩めれば雪面に着地するという仕組みです。
ちなみに、この方法。救助者が要救助者より軽かったら逆に持ち上がってしまいます。私は当時巨体でしたので、リフトのおじさんが躊躇したのは、これだったようです。
私が抑えることにより、安全に救助できたのは事実のようです。なお、私は実は20年前にもリフトが止まって救助された経験があります。
そのときは長い竹の棒をワイヤーに引っ掛け、その棒を伝ってするすると降りる。というもので、かなり怖いものでした。それに比べると、格段の進化です。
ほとんど恐怖感なしに降りられます。
この後、様々な場所でリフトから救助され人によっては1時間以上待ったようですが、全員無事に宿に戻ることができました。
宿に戻ってからも、停電が続きます。しかしながら、宿ではちゃんと食事を出してくれました。
停電のため、ポンプが動かないため実質的な断水もありました。こんな中でも、できる限りのものを作っていただきました。
その後、余震は断続的に続きました。震度4クラスが1時間に4回くらい起きます。そのたびにミシミシと音がし、酔ってしまうくらいの状況です。
とはいえ、雪国の頑丈な宿。特に心配することはありませんでした。
停電のため、テレビは見れません。ラジオ経由で津波の事実は知りましたが、映像を見たのは翌日12日夜21時のこととなります。
エアコンは動作しませんが、布団に入れば何とか寒さはしのげます。お風呂の上の部屋はやはり暖かい。(暑いくらい)
お風呂は温泉のため、入れましたがシャワーは出ません。
なお、蔵王は3/11の後リフトは動かず、結局そのまま2011シーズンの営業を終了したそうです。
翌日の蔵王です。
見に行けませんが、樹氷はきれいに残っていました。(宿からデジタルズームで撮影)
12日はお昼はおにぎりを出していただきました。
夜は暗くなる前に、早めに食事。窓の位置による採光の都合で、いつもの大広間はスタッフのみ。皆さんは椅子席でいただきました。
それにしても、相変わらず停電の中ここまでの食事を出していただきました。本当にありがとうございます。
最後の夜のスタッフ部屋です。なぜこんな写真があるのか?停電が終わった瞬間だから。12日の21時ころ。明るいことがこんなにもありがたいことかと。
本当に感じて幸せを感じた瞬間です。(散らかっててすみません。)
この後、津波の映像をはじめて見ることになります。
最終日の朝です。高速が使えない、一般道は走れるのか?ガソリンは?いろんな問題もあり、やはり12日に帰る事はできませんでした。
13日は東京から予定通りバスが来てくれることになりました。(東京を12日の夜9時に出発。明け方4時ころに到着したようです。)
全ての帰路を一般道で帰る必要があることから、異例の早朝出発です。8時前には出たと思います。
やっと本来のつるやの朝食です。
バスが来ました!白馬の王子様に見えます。そして、最終日は晴れ!こんなときでもジンクス健在です。
つるやの皆さんありがとうございました。館内放送のバッテリーが切れるまで、ラジオを流してくれたり、懐中電灯を用意してくれたり、
あれだけの食事の提供。劣悪な状況の中でもおもてなしの心は変わりませんでした。本当に感謝しております!
帰路。やはり、地震の爪あとはいたるところにありました。
途中休憩しながらの12時間!皆様、本当にお疲れ様でした。
以上、1年以上経ってからレポートでした。
ご参加の皆様、自然災害とはいえ、この状況の中での皆様のご協力に感謝いたします。皆様とこの状況を共有できたことは、大変貴重な体験となりました。
スキー指導につきましては初日で終わってしまい、本来の目的である講習が出来なかったのは大変申し訳ありませんでした。この場を借りてお詫びさせていただきます。
東日本大地震から1年以上経ちましたが、まだまだ復興という文字が似つかわしい状況とはいえません。我々も微力ながら東北の活性化のお役に立てるよう
一層の努力を重ねながら、蔵王講習会について運営してまいりたいと思います。2012年もたくさんのご参加をいただきましたが、来年以降も多数のご参加いただければ幸いです。
重ねてのご挨拶となりますが、今後とも千代田区スキー協会をよろしくお願いいたします。